1000年に一度の命

2011年3月11日いつもと変わらず

会社で仕事をしていました。

みなさんご存知の通り東日本大震災が発生。

停電と断水でライフラインは停止。

 

これからどうなるのか心配ごとは

たくさんありましたが、

1番気になったのは翌月2011年4月に

妻が出産予定だったことです。

 

ライフラインが途絶えたため情報はなく、

いつ元に戻るか分からないまま、

電波を探し続け携帯の充電が切れました。

 

幸い食料は冷凍庫に入れており、

3月で寒かったため、

食料には困りませんでした。

 

何もできずに日々を送っていると役所で

携帯の充電ができると情報をキャッチ

 

ガソリンがないため、

自転車のカゴに娘を、後ろに身重の妻を乗せて

3人(4人?)乗りで役所に向かっている途中で

パトカーとすれ違いましたがスルーです。

 

たくさんの人がすでに充電しており、

コンセントはいっぱいです。

想定通りだったのでタコ足配線を

持参しており充電できました。

 

フル充電後に帰宅するとタイミングよく

実家から山形空港が動き出したと

携帯に連絡がありました。

 

タクシーで仙台駅まで移動して、

そのあとは高速バスで山形空港へ。

伊丹空港に移動して、京都駅で一泊。

新幹線で無事に実家の福岡まで

帰省できました。

 

翌日には妻を受け入れてくれる

産婦人科を探しました。

 

出産直前であることと

一人目が帝王切開だったことから

難航すると思っていました。

 

ただ、直前につくば市が避難してきた人を

拒否したことがニュースになっていたせいか、

2軒目で受け入れが決まりました。

 

用は済んだので自分は一人で宮城に戻ります。

帰りは東京経由で山形空港に行き、

高速バス、タクシーで帰宅。

 

帰宅した翌日には会社の復旧作業が

始まったのでギリギリ間に合いました。

 

バタバタ復旧している間に出産日が

近づきます。

ただ、復旧が終わらないため休めません。

前日まで仕事をして、翌日10時の出産前の

見送りに間に合う方法を探しました。

(帝王切開のため事前に日時がわかります。)

 

小松空港の始発に乗って福岡空港に行けば

10時前に病院に着きます。

 

仕事が終わってから、宮城県から石川県まで

高速で向かいます。

休憩をしながら午前1時に小松空港に到着。

車中泊して、翌朝の始発で病院へ直行。

ギリギリ間に合いました。

 

30分ほどで赤ちゃんを抱えた看護婦さんが

戻ってきました。

2人目だったので抱っこは拒否しましたが、

数秒だけ抱っこしました。

半強制です。

 

2時間ほどして、妻も無事戻ってきました。

ギリギリでバタバタしましたが

一大イベントを見届けられて安心しました。

 

1000年に一度の大災害の年に生まれたので

千一郎と命名したかったですが却下でした。

 

 

そんな息子も今はゲーミングチェアに座って

友達と2次元の世界で遊んでいます。

 

今だったらリモートで簡単に立ち合うのかな?